<陸前高田市、津波に蹂躙(じゅうりん)され、瓦礫(がれき)に覆われた街は、かさ上げが進んでいた。被災に遭った道の駅はそのまま、隣に新しく伝承施設と一体になって、昨秋完成したのです。復旧復興の歩みが記録され、来館者が残した伝言は5000件を越えたそうだ。歩いて10分、奇跡の一本松を再び眺めた・・・>2020/03/14
震災趾の道の駅高田松原
東日本大震災津波伝承館
津波に押し流された消防車が展示
高田松原津波復興祈念公園
長く続く防潮堤
奇跡の一本松(左は震災前 資料より)
友人からの花便り は無し
津波に襲われた陸前高田の旧道の駅。2011年3月6日の14時にはおいらここで遅い昼食と散歩をしていたね。 震災5日前の事。 当時はかさ上げした堤防は無く、松林が海まで続いていた。 旧道の駅の反対側の国道には、コンビニやガソリンスタンド、ホームセンターなどが立ち並んでいて賑やかな街並みが連なっていました。 おいらが立ち去った5日後の同時間帯に想像もしなかった・大津波・が押し寄せて街並みを根こそぎ奪ったのです。 これ、現実の話。 新しくなった道の駅は国道と共にかなりかさ上げして再建をしました。 今回おいらが一番行きたかった場所でした。 大津波にも負けずに1本だけ残った松の木は本当に奇跡です。 海側に立っているユースホステルがこの松の木を津波から守ったのでしょう。 生きるための・希望と勇気・を分かってもらうためにね。 先日おいらコメントした「日本一短い母への手紙」のようにこの施設でも開けてきます。大津波が5日前の3月6日だったら、おいらは人生さんとの・旅は・出来なかったでしょうね。 人生、本当に何があるかわかりません。だから人生は旅人なんだよね・・。