日記 2022年8月21日 投網で 早朝、息子が投網をやるというので一緒について行く、久慈川 下小川の近くで打った。自分もやったが網はきれいに広がりませんね~。勇んで行った割には「大川鳴動して鮎一匹」でした。2022/08/21 復旧した沈下橋 投網 水郡線上り1番列車 成果アユの塩焼き
那須のまこさんのおっしゃる通り、76歳で投網は素晴らしいですね・・・。元気もりもりだね。 いつまでも元気で行動くださいな・。 では、本題です。 久慈川漁業組合では遊漁の捕獲は鑑札が必要です。 たぶん息子さんは鑑札を持っていますが人生さんは鑑札あるのかなぁ・。 鑑札の登録が無ければ軽犯罪で起訴されますよ・。 告発の翌日は新聞記事にのって常陸の圀でも有名になってしまいますのでご注意下さい。 鮎一匹で有名になるのはね・・・。 俺っちの隣のおっちゃんは那珂川漁業組合の会員なのでこの手の「裏と表」は良く教えてくれます。 先日も元市議会の議員が新聞に載りましたよね・。お忍びで監視委員が職質をかけるので要注意ですよ・。
息子に一寸借りて、初めて投げてみたのです。おっしゃる通り歳なのでもうやりません。因みに息子は鑑札持っています。👴
75歳でとあみ凄いです。3回位フルと明日の朝身体が動かなくなるよ。
獲物は少なかった様ですが、やはり、天然のアユはスイカの様な匂いがして美味しいですよね! 今「鵜飼」と言う謡曲を稽古しています。室町時代の世阿弥の作で、山梨県石和川の鵜飼に関する内容です。日本の鵜飼の歴史は古く、古墳時代にはすでに行われていたようです。謡曲「鵜飼」の解説書によると、甲斐国の笛吹川(かつては石和川と呼ばれていた)で石和船鵜飼が始まったのは平安時代からで、平氏公家の平時忠が流刑地の能登国から逃れ、この地で鵜飼をしたのが始まりと言い伝わっています。「常陸風土記」によると、久慈川では奈良時代にはアユを捕獲していたと記載されています。鵜は使わず、「留」や「堰」を作って捕獲していた様です。