記念館から少し離れた所、地下通路が発見、終戦間際、軍が本土決戦を見据えて戦闘機基地要塞化を指令し整備したという。壕内の上には土を盛り、植栽でカモフラージュを施した人工の小山になっていた。入口からは通路がつながり通信室などの部屋がいくつもあった。地下室掘り出し調査は続き、戦時中果たし役割を伝えたいという報道で知ったのです・・・。2022/07/16
駐車場には 空母「赤城」甲板のシーンで撮影されたゼロ戦が
小山の下に地下室入口
コンクリートで覆われた南側通路
大部屋(1)
北側通路
この先危険
通信室
人生さんも見学したんだね・。第二次世界大戦の末期に作られた指令本部でしたね。 昨日もお話しましたが俺っちが見学したころは発見してすぐだったので足元も真っ暗でしたよ・。 日本には現在も沢山の戦争遺産として残された場所がまだあるよ。 例えば、長野・松代には戦況の悪化で本土決戦に備えて大本営を松代に移す計画もありました。それが松代像山地下豪です。 ほぼ8割の工事は終わっていましたが終戦となり現在は戦争遺産として一部の見学が出来ます。 夏季は居心地が良いですよ・・。とても涼してからね・。 あと、山本五十六さんが戦時中に土浦に来てたね・・。 俺っちの親父に聞いたことがあります。 親父も予科練で二か月ちょい訓練してその後、終戦。 戦争が長引いていたら俺っちは人生さんと出会うことなく、また、旅もしていなかったでしょうね・。 この良い時代、お互い自分に合った旅をしましょうね・・。