日記 2020年3月6日 佐竹氏特別展 <歴史には、それ程興味があった訳ではないが、こちらに住んで茨城と佐竹氏の関係を耳にするたびに面白くなった。今、県立歴史館で「佐竹氏800年の歴史と文化」特別展が開かれている。常陸を中心にこれ程長く続いた佐竹氏の歴史は稀だ。その歩みをこんなにも沢山の資料、作品を通じて紹介されていた。内容は深い、まだまだ理解は上っ面だ・・・>2020/03/06 佐竹氏800年の歴史と文化展 作品一覧(館内撮影禁止) 刀を見遣る少女 正面が歴史館 友人からの花便り(写真) 3/06 クリスマスローズ⑦ 返信 うつむく花達を代表し、ご主人様にお礼を言ってるようだ。我家のクリスマスローズも上を向いてる花があるか観てみよう。
秋田大好きなおいらから・・・佐竹義宜は関ヶ原の戦い後、徳川家康ににらまれて常陸の圀から出羽秋田に転封された大名です。 現在の秋田市民は・佐竹様・と親しまれています。 久保田城跡の資料館にも佐竹氏に関する資料が数多く展示してあり、こちらも見ごたえがあるよ。 今は天守閣は無いが本丸西側に御隅櫓が立っています。 日本百名城にもなってますので機会があれば登城してください。
「雌伏(しふく)」
般若面のような顔をした山の神に「差別用語だ」と怒鳴られそうな言葉ですが、しかし、佐竹氏の生き様を端的に表した言葉の様に改めて感じました。2000円もする本特別展「佐竹氏 800年の歴史と文化」の案内書を購入して何度も何度も繰り返し読み、その案内書を片手に特別展に4回も通いました。そして、佐竹氏が800年も続いた理由がやっと分かったのです、。時代の荒波にもまれながら、また、さまざまな苦渋の選択を迫られたが、じっと好機到来を待ち、忍耐と機転によって、それを乗り越えてきたのです。佐竹氏は歴代の当主が常に100年単位で物事を考えて行動したのですネ。
ところで、佐竹と言う地名は3つの川が合流し、その浸食で谷津が出来ところ。狭い(サ)崖(タケ)が語源とのことです。詳しいことは2000円の案内書に書いてありますので、興味ある方はご購入して読んで下さい。
「人生旅人」ブログのタイトル良いですね。
人生長い旅ですが、振り返ってみると月日の経つのは早いものです。
去年の12月まで55年間サラリーマンをしていましたしていました。
辞めて見ると、暇はあるが金がない。
お金の掛からない遊びをみつけなくっちゃーと思う今日この頃です。
ブログ楽しみに拝見します。