<見ごろを迎えた偕楽園の梅の花は咲き誇っていた。咲く梅には知った事ではないだろうが、新型コロナで各種イベントの中止や入園が有料になったからか、休日なのに賑わいが無い。でもポカポカ陽気の広場では、カップルや家族連れがゆったりとお弁当を食べていた。感動も薄れたおじさんの楽しみは何だったのだろう・・・>2020/03/03
水戸の梅まつりに
梅林の道 を歩く
カメラ女子
「おじちゃんこんにちは!」って
見晴広場より
友人からの花便り(写真) 3/03
百段ひな祭り
百段ひな祭り
返信
去年写真を撮りに行きました。年々趣向を凝らし盛大に成ってるみたいですよ。お孫さんも大きくなったし、歳も召して行く気にならないのですね。分ります・・・。
『左近の桜』
偕楽園の左近の桜が昨年の台風で倒れて仕舞いました。京都御所にある左近の桜の苗木を水戸徳川家が戴いたもので、坂野氏の編集した『茨城県名一本桜番付』では『右の横綱』の地位にありました。好文亭をバックにした左近の桜は絵になりました。残念です。幸いなことに、宮内庁が新しい苗木を京都御所から手当てして戴けることになったそうです。
新型コロナウイルスの影響で各種のイベントが中止となっています。 先ほど発表になったのは・3.11の東日本震災の追悼慰霊行事。もう、9年前の事ですね。 おいらの記憶・・・2011年の3月4日の深夜、東北道を北に快調に進めて5日、八戸・八食センターに到着。朝食と買い物を済ませて種差海岸から国道45号を南下でおいらの旅が始まった。 陸中海岸を堪能し宮古の道の駅で車中泊。 6日の早朝は天気良好で穏やかな朝を迎えた。 海の青と空の青のコントラストは今でも思い出す。 宮古からさらに南下し、陸前高田の道の駅で遅い昼飯と休息で2時間ほど車内でくつろいだ。 その後は千本松原を散歩し気仙沼を経由して仙台へ・・。 楽しい旅が出来たのだ。 旅から5日後の3月11日の午後においら想像もしていなかった大震災が発生。 おいらが5日前に車中泊した宮古の道の駅や千本松原を散歩した陸前高田は壊滅だった。 ほんの5日の違いで、おいらは今も元気で生きて旅をしているのだから・生かされた人生・かもね。 あの震災が3月5日か6日だったら、おいらの旅も2011年3月で終わっていたかも・・。この年の5月連休にボランティアとして宮古を訪れたがおいらが車中泊した宮古の道の駅は何もなくなっていた。 道の駅でレジを打っていた・おばちゃんは、どうしているか・・。 生と死は本当に隣り合わせですよ。 生きていること・・生きることって本当に素晴らしい奇跡です。