<秩父巡礼に行った時、異様な数の水子地蔵の光景に出くわした時の事です。歳の離れた兄と二人兄弟だけど、ず~と次男と思っていました。ところが実際には四男だったんです。兄が亡くなった時見た戸籍謄本で知ったのです。生まれて直ぐ亡くなったらしいが、親から聞いたことは一度もなかった事を思い出したのです。もしかしたらこの中に? 或いは、運命が違えばオレだったかも。枯れない花と風車が今でも脳裏に残っています・・・>2019/12/18
小鹿野にあった水子地蔵寺
四男になってる戸籍謄本
118号線大子にもある
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可愛いラッパたちが、ご主人様に、コーラスを聞かせてるような、ある時は話しかけてるような・・・、家族に溶け込んで見えますね~。
人生さん、おいら長男でありながら実は戸籍では次男なんですよ。 昭和35年に兄を亡くしていますからね・。 一歳の誕生待たずに他界しちゃいました。 秩父の水子地蔵さん、おいらも今年の巡礼旅で訪れています。 この風景、下北半島の恐山に似ていますね。 三途の川の太鼓橋を渡ると異様な風景に変わりますね。 おいらの兄ちゃんはきっと恐山に来たのでしょう。 おいらと同じ旅人だと思うから・・。 年に一度は帰ってきます。 お盆だけは家族になれますから。 今日もまた、旅の途中かもね。
私の親族にも成人前に亡くなった人が数人います。母親からは風邪や流行りヤマイで亡くなった子供が当時は多かったと聞かされました。能[敦盛]に[人間五十年下天のうちをくらぶれば夢現の如くなり!]と言う言葉がでてきますが、江戸時代末期の日本人の平均寿命は30~40歳位であったようです。その理由は乳幼児の死亡率が高く、一説では2人に1人とも言われています。徳川家康も27~28人子供がいたが成人になったのは只1人でした。数え7歳までは人間と見なされず[神の子]として扱われていたようで、子供の成人までの成長を神様仏様に祈願したのが七五三の始まりとも聞いています。現代の豊かな食生活や医療の向上等、その恩恵に感謝感謝です‼️