今年も3月14日、親和会や有志で「弾正塚」清掃と供養を行いました。天文九年(1540年)の「部垂(へたれ)の乱」の際、小瀬城の家老で小舟城主であった内田弾正左衛門が応援要請に間に合わず、自害した場所とされ、石碑が建てられました。旧跡の少ない田子内地区にとって弾正塚の維持管理は歴史を残していくためにも、とても大事なことではないでしょうか・・・。2026/03/14

弾正塚の由来

除草や選定を

大木の倒壊はそのまま

弾正塚碑(乾燥注意報で線香省略)

直会を集会所で

地元湊屋のお弁当で