- 江戸後期 水戸藩主徳川斉昭に代わり、新しく藩主となった慶篤は幼少であったため、三分家が後見役となると、 藤田東湖ら改革派は罷免され、斉昭の改革は頓挫した。これを「弘化甲辰(こうかこうしん)の国難」と言う。その影響について、烈公斉昭、結城虎寿、藤田東湖に焦点を当てた講演会(水戸・歴史に学ぶ会)に参加した。2024/04/21
那珂市中央公民館にて
熱弁する仲田昭一講師
水戸市白梅にある藤田東湖像
史料は下記「水戸藩弘化甲辰の国難」をクリックしてください。
水戸藩弘化甲辰の国難
那珂市中央公民館にて
熱弁する仲田昭一講師
水戸市白梅にある藤田東湖像
史料は下記「水戸藩弘化甲辰の国難」をクリックしてください。
水戸藩弘化甲辰の国難
ヨシさん、この講演会に参加できず残念です。歴史に「もし、・・・」はないが、「もし、虎寿や東湖の諸生・天狗党の争いが起きなかったら、日本の政治の姿・形も今とは大きく変わっていた」と思うと、虚しさを感じますネ!