日記 2023年3月9日 自業 糖尿病+腎臓病の反響があってね、友人たちが食べ物の忠告をしてくれたり、透析を身近に知ってるという友人の話を聞かせてくれたり、数値による進行度合いの表を態々(わざわざ)届けてくれた人も。推奨の「腎臓が寿命を決める」も読んだ。カミさんも、あれ食べちゃいけない、これも食べちゃいけないと言い、意気消沈気味だ。栄養不足で早くフレイルになるんでは・・・。2023/03/08 GFR(糸球体ろ過量)早見標 GFRはステージ4の段階に リンが老化を早めると
心配事が有るのは生きている証だよ・。 人生旅が出来るのも生きてる証だ。 今から12年前の2011年3月11日の午後に東北地方から関東、そして北海道に至り東日本大震災が発生したね。明後日が12年目となる3月11日だ。 おいら2011年の3月6日は宮古から釜石の陸中海岸を走行していた。車中泊していた陸前高田の道の駅は壊滅状態だった。震災後の5月にはボランティアで訪れた記憶がついこのあいだのように思い出します。 以前、人生さんにはお話しましたが震災が5日早かったらおいらもこの世には今も居なかったでしょう。救われた命です。 一昨年は人生さんと尋ねた石巻・大川小学校での慰霊参加、今年はみなみ三陸町へ出かけてきます。
いつだっけかな、明石家さんまさんがラジオ番組で「俺は、本当はこの世にとっくに居ないはず
だったのに、なんか、生かされてる」て。あの、JAL123便で大阪に帰るはずだったが、急に
何かの予定が入り、その便をキャンセルしたそうです。さんまさん曰く、「生きてるだけで丸もうけやね」、本当、その通りですね、最高の贅沢だね。
晴天さん、やいらも明石家さんまさんと同じ境遇です。 あの震災が5日早かったらおいらもこの世にはいなかったね・。 今年も東北へ行ったよ。今回で12回目の慰霊慰問。 来年は13回となるので当時の思いは13年間は東北の各震災地へ行き復興と慰霊をしたいとの思いでした。
食べたいもの食べられないのは辛いだろうけど、がんばって