<国道293号線 久米の十文字を北にしばらく行くと、駐車場があった。鹿島神宮の鳥居が入口、案内板が各所に置かれ、分かり易い。堀切など覗きながら登って行くとやがて本丸跡へ。標高101.3mの高台にあり、角館の枝垂桜が植えられていた。城は鎌倉時代に大掾氏が館を設け移住、その後紆余曲折、15代佐竹義治の子の義武を城主とし、代々続いたが、やがて、佐竹氏の秋田移封後、廃城となったとある。いい汗を掻く、近くでの冷たい蕎麦が旨かった・・・>2019/06/21
久米城本城跡
駐車場(家から15分くらい)
久米城跡入口
15mもの堀切
神社の上方に本城がある
友人からの花便り は無し
先日、茨城県立歴史館特任研究員(元館長)の永井博氏の歴史講座に参加した。平安時代、都で職に就けなかった天皇の親族が地方に下って国を治めた。その一人である平維幹(しげもと)が常陸大掾となって常陸国に下り、その後、大掾氏を名乗る様になったとのこと。因みに、国の長の位は、上から「守(かみ)」「介(すけ)」「掾(じょう)」「目(さかん)」の順。「掾」は「大掾」「小掾」があった。初め那珂川以南が大掾氏(常陸平氏)の勢力圏であったが、常陸大掾の地位を利用して徐々に太田の方まで勢力拡大した。その後、鎌倉時代に入り、源頼朝の常陸平氏抑制策に佐竹氏が加担し、功績を買われて常陸国守護職に任命された。那珂川以北や水戸などを勢力圏に治めた。最後には、大掾氏(常陸平氏)の血縁氏を太田に呼出し皆殺しにした。茨城県には大掾氏の血縁者や末裔も多いが、今でも佐竹氏に怨念を抱く者も多いと聞いてます。(長文になって御免!)
人生さんも城巡りを始めたようですね。 現存の城は少ないですが再建や城跡は数えきれないほどの数があります。 おいらは取り合えず日本百名城と続百名城を探訪しています。