日記 2026年3月20日 弾正塚供養祭 今年も3月14日、親和会や有志で「弾正塚」清掃と供養を行いました。天文九年(1540年)の「部垂(へたれ)の乱」の際、小瀬城の家老で小舟城主であった内田弾正左衛門が応援要請に間に合わず、自害した場所とされ、石碑が建てられました。旧跡の少ない田子内地区にとって弾正塚の維持管理は歴史を残していくためにも、とても大事なことではないでしょうか・・・。2026/03/14 弾正塚の由来 除草や選定を 大木の倒壊はそのまま 弾正塚碑(乾燥注意報で線香省略) 直会を集会所で 地元湊屋のお弁当で
部垂の乱、または部垂十二年の乱ですね。 佐竹氏一族の内乱だよね・。 佐佐竹義篤の弟、宇留野義元が部垂城を攻撃した事が始まりだ。 12年後の天文9年の1540年、義元を敗死させて部垂の乱は終わったんだ・。
内田氏の一行が今の八田峠(セブンイレブン)から現在の常陸大宮市北町にあった「部垂城」が見えた時に、煙が上がっていたのを城と思い込んで・・内田氏は部下を帰らせようとしたが、部下も一緒に自害した地だった。 今だったら、おいらは帰る判断をしたよ・(笑)。
部垂城は、現在の大宮小学校の敷地になっています。 小学校西側には「部垂城跡」の記念碑が立っていますよ・。 おいら大宮小学校の卒業生なので、当時の歴史を少しだけ学んだ。