歳の離れた兄貴と別れて10年が経つかな。晩年、船村徹の歌が好きでよくカラオケで歌っていたのを思い出しました。日光街道沿いにある道の駅の「船村徹記念館」に寄った。舟木一夫企画展があり、今でも口ずさむ♪高校三年生が懐かしい。作曲家船村徹は栃木県塩谷市の生まれ、道の駅「湧水の郷しおや」の交流館にも歴史的資料が多く展示されていた・・・。2021/07/19
日光街道杉並木
船村徹記念館
船村徹記念館入口
さわやかな舟木一夫に古希の恋(3Fにおばちゃん多し)
湯水の郷しおや の交流館にて
船村徹が愛用していた初代のピアノ
ヨシ、常陸の圀さんは、いろいろと良くご存知ですね。笠間市工芸の丘の敷地内にも歌謡詩人高野公男の記念碑があります。陶芸美術館に行った帰りには必ずここに立ち寄ります。ここからは佛頂山や加波山などの山々が一望でき、高野公男の作詞の原点となった裏庭の情景が素晴らしい眺めです。高野公男・船村徹で作詞作曲したヒットした曲は沢山ありますが、どれも都会に出てきた田舎の匂いがして、郷愁を誘いますね。中でも「男の友情」が私は一番好きです。オリジナル曲も良いですが、歌唱力ある ちあきなおみがカバーした男の友情を聞くといつも涙ぐんできます。ポルトガルのファド、フランスのシャンソンにも似た曲想で、しみじみと心に伝わってきます。
「別れの一本杉」のモデルとされている「一本の杉」は会津坂下に今でも立派に立っています。 でも、船村先生も笠間出身の「高野公男」がいなければ、この歌は誕生しなかったと思います。笠間市には高野公男の菩薩像とこの歌の歌碑がありますよ。 26歳でこの世を絶った高野公男の命日には多くのファンが訪れて今でも供養しています。 お時間あれば笠間へも・・。 先日、笠間城の御城印、頂きました。