ふれあいセンターごだい にて講演会を聴く。演題は「太田の生んだ東洋一の外科医 男爵 佐藤進博士」です。弘化2年(1845)現在の太田市内堀町にある酒醸造業に生まれる。19歳の頃には多くの先輩をしのぎ、儒学、オランダ語、医学に精通し、順天堂の後継者となりました。日清戦争で軍医総監としても活躍、野口英世の指導にもあたった。医学発展のため生涯を捧げ、大正10年76歳没。太田に「進徳幼稚園」を設立、太田一高には佐藤進掲額「博学之審査問之」が、若宮八幡宮には「征清殉難之碑」があります・・・。2024/07/07
ヨシさん、猛暑の中、東奔西走のご活躍、元気ですね。佐藤進医師の活躍した話は現役時代に良く聞きました。それと言うのも、佐藤医師の極近い親戚筋の高和さんと言う方が同じ会社に勤めていたからです。日清戦争終結の講和条約締結のため下関に来日していた李鴻章清国全権特使が暴漢に狙撃されて大けがをした際に、佐藤医師が手術治療にあたり、一命を取り留めた話は、何度も何度も聞かせれました。李鴻章は人格も含めて佐藤医師の対応や手腕に絶大の信頼を寄せていたと聞いています。それにしても、茨城出身の偉大な先人は多く、もう少し、県の教育員会をはじめ関係者のPR活動を強化してほしいと思います。立派な人物が今後も継続的に輩出できるように・・・期待します。